千利休

  • 千利休

    木曽桧 総高 37cm

1522~1591、大永2~天正19

室町後期・安土桃山時代の茶道家.千家流茶の湯の開祖。侘茶の大成者。

初名は田中与四郎、法号は宗易、号は不審庵・抛筌斎。祖父は千阿弥。父は田中与兵衛。堺の人 はじめ 茶を北向道陳に学ぶ。のち武野紹鴎の門に入り、奥義を極め、能阿弥系・珠光系の両茶道を併せて利休流茶道を樹立した。

紹鴎が樹立した侘茶は利休によって大成され、書院的貴族的な茶に代わって草庵的平民的な侘茶が成立した。

茶禅一味の境地を望み、風流禅としての茶道は、侘び・寂びの芸術として形成されるに至った。

はじめ織田信長に仕えて500石を受け、後に豊臣秀吉に仕えて2000石を受けたが、1590(天正18)年秀吉の怒りを買い、翌年自刃した。

姿は大徳寺の山門にある利休像。顔は肖像画を参考にした。

「利休 幻の茶室」 日本美の根源への旅

学校法人 中央工学校 企画制作の長編記録映画に起用される。 平成12年11月8日

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