貞応1年~弘安5年10月13日(1222~1282)鎌倉時代中期の僧侶。日蓮宗の開祖 安房国小湊の漁師の家に生まれる。 |
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12歳 |
天台宗清澄寺に登る。 |
18歳 |
出家して是聖房蓮長と号す。 |
鎌倉・京都・比叡山・三井寺・高野山などに学ぶ。 |
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31歳 |
1253年(建長5年)清澄寺に帰り、持仏堂の南面で「南無妙法蓮華経」と唱えて開宗し、「法華経」を釈尊が説いた経典のうちで、最高の経と認めて、その教えを実践することが真実に生きる道であるとしている。 |
「法華経」 |
八巻二十八品からなり、第1章から第14章までを迹門(しゃくもん)といい、第15章から終わりまでを本門(ほんもん)といっている。迹門で諸法実相をもとに人間の平等を説き、本門では諸法実相の世界観を根底にして、久遠の如来を説き、この仏によって知見された世界こそ、真実実相を示すものであると説いている。 |
日蓮宗 |
末法の衆生は「法華経」を信じて、実践することにより、初めて人々は救済されるものと強調しており、また個人の救済だけではなく、仏の教えによって、仏法に逆らうものを屈服させ、社会・国家全体を良くしてこそ、個人も救われるとしている。日蓮が元軍(蒙古軍)の来襲があると予告して「立正安国論」で、ときの北条政権に忠告したが聞き入れられず、数々の法難ののち、身延山に久遠寺を建立して日蓮宗の道場とした。 |
60歳 |
常陸へ赴く途中武蔵池上で没した。 |