梵名 |
阿弥多(あみた)、阿弭陀(あみた)、阿弥陀由須(あみたゆす)、阿弥陀婆(あみだぶは)と呼ばれる。 |
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称名 |
無量寿仏、無量光仏、無碍光仏(むげこうぶつ)、尽十方無碍光如来、等が在り、無量とか無辺、無限の意味で宇宙の無限をさす。 無量寿命(計り知れない寿命を持つもの。アミターバ)、無量光明(計り知れない光明を持つもの。アミターユス)、二つの特性を備えた仏陀を阿弥陀仏としてあり救済仏信仰によって出現した仏である。西方極楽世界の教主として説法しておられる。 |
信仰と功徳 |
釈尊のように過ぎ去った仏ではなく、弥勒仏のように未来仏でもない、現在にいて、西方極楽浄土で、四十八の誓願により、大慈悲の永遠の救いをしておられる。阿弥陀仏を信仰するものは、必ず極楽浄土に往生できるとされ、来世の果報を得るために難行苦行をつまなくても、ただひたすら南無阿弥陀仏と唱え念ずるだけで阿弥陀仏は念仏の行者を迎えてくれ絶対他力の力で浄土に往生できると説く信仰。唐の善導によって日本に渡来し一般に広まった。 |
お姿 |
阿弥陀如来像には観世音、勢至の両菩薩が脇侍として侍立している。 阿弥陀如来立像は左右の両手を指して法身説法(ほっしんせっぽう)の印を結んでいる。上は菩提を求め、下は衆生を教化することを示している。光明遍照十方世界と念仏衆生摂取不捨の意味。 |
九品(くほん)の阿弥陀仏 |
生前の信心の深浅と、機根(きこん・仏の教化によって働き出す、人々の心の中の能力)の勝劣によって、来迎する形式が九種類ある。信心が厚く、南無阿弥陀仏をよく唱えたものが、格式の高い迎え方をしてくれる。 |
お西さんと お東さん |
浄土真宗の本願寺派の本山が京都西六条に在ることから西本願寺、お西さん。 これに対し大谷派本願寺の本山を東本願寺、お東さんと呼ぶ。 ともに宗祖親鸞上人の本山で、東西に分かれたのは、本願寺十一世の法主顕如(けんにょ)上人が、織田信長を相手に石山寺(今の大阪城)にこもり戦ったが、正親町(おおぎまち)天皇の奏請で信長と講和を結んだ。講話の後顕如の長子、教如を十二世の法主として、門跡(もんぜき)を譲ったが、3年後に秀吉の命により、弟の准如が門跡を継ぐことになり、兄の教如は隠居した。ところが徳川家康は関ケ原の戦いで、准如が石田方の西軍に味方したことと、本願寺の勢力を二分するため、隠居した教如に土地を与えて東本願寺を創建させ、東西に二分した。 |