誕生日 |
西暦紀元前、486年~483年頃 4月8日 |
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出生地 |
ヒマラヤ山麓、現在のネパール。 中インド迦毘羅国(かびらこく) ルンビニ園の庭 無憂樹(むゆうじゅ)下 |
父母 |
父 釈迦族の王 首頭壇那(スドダーナ)=浄飯王(じょうぼんおう) 母 磨訶摩耶(マカマーヤ) |
誕生 |
摩耶夫人が出産のため、里帰りの途中立ち寄ったルンビニ園の庭で休息中 、無憂樹の花を手で折ろうとしたところ、右 脇の下から釈尊が生まれる。 |
誕生仏 |
生まれてすぐに四方に七歩ずつあるいて、右手は天、左手は地を指して「天上天下、唯我独尊」と宣言したという。 |
王子期 |
ゴータマ・シッダッタ(瞿曇悉達多ぐどんしっだった)と命名、慈しみ育てられ、成長するにしたがい、学問、技芸に優れ、隣国の拘利城(こくりじょう)の耶輸陀羅姫(やしゅだらひめ)を后にむかえ、一子ラゴラが生まれる。 |
出家 |
生きとし生けるものに宿命の四苦(生・老・病・死)。死の苦しみから開放される方法はないだろうか。人間の無情を感じ29歳で妻子を捨て出家。 |
苦行 |
各地の先覚や修行者のもとを訪れ悟りの道を得ようと、難行苦行をしたが、体を苦しめるだけで何も得られるものはない、価値がないことがわかる。 |
出山 |
6年間の苦行の末、痩せさらばえて、山を下りる。(出山釈迦像) 釈尊に従っていた5人の家来は太子が堕落したものと思い、立ち去った。 |
降魔 |
菩提樹の下、金剛宝座に安座し、禅定に入り瞑想にふける。王宮時代の華やかに生活していたときのことが煩悩となり、禅定の太子に悪魔として襲い掛かり、誘惑して成道を妨げようとする。釈尊は動ずることなく悪魔群獣を撃退した。 |
成道 |
12月8日の明け方、東の空に輝く星の光を仰いで悟りを開き仏陀となった。 このとき35歳。衆生に説法をする。その姿が写真の説法像。一切の装身具を着けず、衣と袈裟だけ。 右手を上げ、掌を外に向けた印を「施無畏印(せむいいん)」、すべての人々の心から恐れの心を取り除いて救済することを示す。 左手はひざのあたりで掌を上に向けて開いている。 この印を「与願印(よがんいん)」、人々が求めるものを願いによって与えようという慈悲を注ぐ意味を持つ。 |
涅槃 |
80歳で入滅するまでの45年間、華厳経、阿含(あごん)、勝髪(しょうまん)、阿弥陀、大日経、法華経、その他多くの経を休む暇もなく民衆に説法教化して、最後に涅槃経を説き、沙羅双樹の下で頭北西面、静かに入滅された。 |